知られざる洋食の聖地・新潟

ピーア軒創業当時の新潟市

1868年の日米修好通商条約により、横浜・神戸・箱(函)館・長崎に加え、新潟が開港5港に指定され、「新潟港」が開港されました。

新潟港が 開港すると、当初は遠洋漁業の漁船基地として栄え、1929年には満州と新潟港との航路が開設、新潟港は日本海対岸貿易の拠点として本格的に機能し始めます。

貿易の拠点=異文化の交流が盛んになるため、当時の新潟港周辺は様々な異国の文化が流入する土地となりました。
ちょうどその頃、大正12年(1923年)にピーア軒は創業しました。

  • 昭和30年9月古町六番
    左角北光社
  • 旧市内風景
  • 旧市内風景

1858年に開港された5港、横浜、神戸、函館、長崎に共通すること、それは洋食が有名であることと独自のカレーの文化が根付いているということです。

横浜は「横濱カレー」「横須賀海軍カレー」、横須賀市は「カレーの街」と呼ばれています。
神戸は「神戸元町カレー」をはじめ、洋食の名店が多くある地として有名です。
函館は「函館カレー」、「スープカレー」も北海道が発祥です。
長崎は「カステラ」などの異国の「食文化」を持ち、「焼きカレー」も有名です。

新潟も開港5港のうちの一つ。
当時の食文化にも異国の文化が大きく影響を与えたことは言うまでもありません。
新潟は知られざる洋食の聖地です。

新潟市の歴史と共に歩んだピーア軒

明治7年の夏、開港で活気付く新潟にフランスのチャネル曲馬団(当時のサーカス団)一行の料理人として来航したイタリア人コックのピエトロ・ミリオーレ氏が、長期にわたる怪我の治療後、新潟の西堀通りに本格西洋料理の店「イタリア軒」を開店。

当時の新潟西堀通りは堀があり、水路として人々に活用されていました。

当店創業者である間 松太郎は、その「イタリア軒」で12歳(明治45年)から修行し、雑用係を経て調理係まで13年間に渡り奉公しました。
この間(大正10年から2年間)東京築地の「精養軒」で本場の西洋料理を学び、大正12年(1923年)
に白山浦に本格西洋料理店「ピーア軒」を開店しました。

店名の「ピーア」はイタリア語の「梨」から来た名前で、松太郎が料理修行をしていた頃、彼の実家が梨の商いをしていたことから、親しみを込めて付いたあだ名から由来しています。

昭和2年には、ピーア軒が新潟県内初のカフェー「ピーア軒」に転身し、「ハイカラ」、「モダン」の時代の先端を行く紳士淑女の常連が集い、賑わいを見せました。

その頃、昭和8年(1933年)にはピーア軒の最寄である白山前駅~燕駅をつなぐ、新潟電鉄が開通。
店の前を路面電車が通るようになりました。

路面電車は67年もの間ピーア軒の店の前を走り続けましたが、平成11年に全線廃線となりました。

  • 県民会館
  • ちんちん電車
  • 柾谷小路

新潟市の歴史と共に歩んだピーア軒の料理は、新潟の方々に広く愛されることを目指しています。
創業から続く歴史ある味わいを守りつつ、時代に合わせたお料理・サービスをご提供していきます。
是非一度ピーア軒の味をご賞味ください。