HISTORYピーア軒の歴史
時代に合わせ柔軟に変化させる「サービス」をご提供いたします。
1858年(安政5年)の日米通商条約により日本は五港(函館・新潟横浜・神戸・長崎)を開港することとなり、この頃から新潟にも外国船が入港するようになりました。
これにより異国の文化にふれる機会が増え、新潟は他県より早く市民に洋食が根付きました。
1874年(明治7年)の夏、開港で活気づく新潟にやって来たフランスのスエリ曲馬団一行の中に料理人として来航していたイタリア人コックのピエトロ・ミリオーレ氏が、怪我の長期治療のために新潟に残されました。
治療後に西堀通りに牛鍋屋を開きましたが、1880年(明治13年)の大火で店が消失してしまいました。その後周囲の人の励ましで日本でも最初の本格的西洋レストランを誕生させました(現在のイタリア軒)。この店で当店の創業者である間 松太郎は、1912年(明治45年)から13年間に渡り奉公しました。その間の2年間は東京築地の「精養軒」で本場の西洋料理を学び、1923年(大正12年)、新潟市の白山浦に本格西洋料理店ピーア軒を開店しました。
店名の「ピーア」はイタリア語の「梨:pere」から来た名前。松太郎が料理修行をしていた頃彼の実家が梨の商いをしていた事を知った師匠のミリオーレ氏が、親しみを込めて付けたあだ名から由来しています。
1927年(昭和2年)には、県内初のカフェーピーア軒に転身し、ハイカラモダンの時代の先端を行く紳士淑女の常連が集い、賑わいを見せました。
戦時中はカタカナが使えず、ピーアの文字は【飛亜】と表記し営業を続け、戦争が終わると創業当時の西洋料理店「ピーア軒」に戻り、本格西洋料理の味を磨き続けています。
新潟市の歴史と共に歩んだピーア軒の料理は、新潟の方々に広く愛されることを目指しています。
創業から続く歴史ある味わいを守りつつ、時代に合わせたお料理・サービスをご提供していきます。是非一度ピーア軒の味をご賞味ください。